1日目 脱穀の歴史をたどる
2日目 藁を田んぼで保管する、藁ボッチ作り!!
本日の主役、足踏み脱穀機(右)と唐箕(左)
まずは「こきはし」。竹の板を2本合わせて、その間にはさんで稲をこきます(藁からモミをはずします)。
地道な作業過ぎて、しばらくすると皆けっこううんざり気味?
時代は進み、西暦1700年初め頃から使われ始めたといわれる「千歯こき」。櫛のようなもので、櫛の歯にモミをはさんで藁からはずす。ちょっと楽しくなってきた!
ここで、アサばあちゃん登場!!里美ふれあい館で行われていた「かかし祭」の演歌を聴くのを中断し、「知恵の伝達人」として来てくれました!そして、時代は変わって1910年ころの画期的脱穀機「足踏み脱穀機」。下の部分を足踏みミシンのように踏むと円が回り、その周りについている歯でモミを撮ってくれます。機械が吹っ飛ぶのではないかというくらいに勢い良くまわすアサ婆の足さばき、そしてあっという間にモミが取れるその速さに皆「お~~~」と大歓声。
皆が足踏み脱穀機に熱中し始めると、今度はアサ婆、すたこらと、モミの外れた藁を束ね始めます。
皆、視線はアサ婆へ。12束の結構な量の藁をひょいひょいと見事な手さばきで束ねます。そのマジックのような技を盗むべく、横でまねするけどさっぱり分からん。ので、「ゆっくりやって~」とお願いして、アサ婆の指導。
これは、藁の束を結ぶ紐を藁で作っているところ。と言っても、4~5本の藁を2セット、片チョウチョ結びで組み合わせて長くするだけなのですが、その結び方がなんとも手際よく美しい!!あれよという間に皆集まってきて、アサ婆に教えてもらう。出来た人は楽しくなって、何本もそれを作る。(結局使わずじまいの紐だけが最終日に大量に発見されました・・・)
黙々と足踏み脱穀機で脱穀。
1930年頃に使われたという「動力脱穀機」を使おうと試みるが、大事な部分が壊れていて使えませんでした。
黙々と脱穀
またまたアサ婆、すたこらと何かし始めました。稲穂を干していたほだ木を片付け始めたもよう。木の縛り方も美しく、無駄のない動きにほれぼれ。
自然と脱穀する人、その人に稲穂を運ぶ人、モミの外れた藁を片付けて丸める人、稲穂がかかっていたほだ木を片付ける人と分担して、スムーズに作業が流れていきます。すばらしきチームプレー!!
脱穀機で外れたモミの中に「ぼっつぁら」あり。穂先にもみがついたままの状態で落ちてくるもので、それらは集めて日に当て乾燥させて、後に手杵でたたいてはずします。「ぼっつぁら」や藁をとるためふるい(がないので、コンテナの穴)をふるいます。「ぼっつぁら」は「ぼっつぁら」で集め、モミはゴミを飛ばすため、「唐箕」にかけます。
「唐箕」。上からモミを入れ、丸いところで風を起こしゴミを飛ばします。重いモミは手前に落ち、少し軽いモミは手前から2番目に落ちます。その軽い方のモミを「あい」と呼び、こちらは牛や馬などに食わせていたそうな。それより軽いゴミなどは、さらに前方に飛ばされていきます。
すばらしきチームプレーを尻目に、ついに出たな、ハーベスター。
稲穂を入れると自動的に引き込んで、足踏み脱穀機のドラムのような部分が内蔵されているので、そこで自動的に脱穀し、さらに風も中で出しているのでゴミも飛ばされ、脱穀機と唐箕を両方終わらせた状態でモミが出てくる。残念ながら「あい」はとばされる。移動式なので、ほだ木に掛けられている稲穂のところへ行って脱穀し、また少しすすんで脱穀し、という腰に負担のかからない便利らくちんもの。でも機械のペースに人が合わせるので少ししんどい。
1日目は日も暮れてきたので、「モミがしける」というアサ婆の助言をもとに途中でやめにして、温泉&鍋で夕飯。
2日目は午前中は脱穀続き、午後から藁ボッチへと入ります!!
あ~、腹が減った。WWOOFerの美菜ちゃんが、石を積んだ中で火をおこし、けんちん汁を作ってくれる。
午後の部へ突入・・・・
わらぼっちとは、わらを腐らせずに春まで田んぼに置ける昔の人の知恵!下の地面につく部分を少なくし、ぬれないような場所を選ぶまたはぬれないように藁クズを敷くのがポイント。
出来た!藁が足りずにスズメボッチ。
・・・作り方の詳細は来年の脱穀体験にいらしゃりませ!!
待てない方は・・・11月22-24日に大藁ボッチを作ります。藁もそのためにとっておきました。
ご興味のある方はご連絡ください。日帰りも歓迎!