まったり~村通信No.196                    2010年3月16日

 先週末は東京へ行ってきました。お世話になっていて結婚式にも出席していただいた方が長年撮りためていた映像が映画となってようやく世に送り出されるということで、その上映会に行く予定でした。その前日に父の弟が亡くなったとの知らせを受けて、お通夜と告別式も含めての上京となりました。
 映画は「こつなぎ」と言って、岩手の小繋地区での入会地を巡る裁判とその土地に住む人々を撮った映像です。土地が所有化され、それまでは共有の財産として山から家の材や燃料、山の恵みである食料をとっていたにもかかわらず、その慣習に従う村民は「泥棒」として捕まえられます。その土地で生命を育んできた村人は、その土地からは切っても切れない関係であったにも関わらず、土地からの恵みで人が育つことを知らない輸入業を営む遠方の商人に土地を買われ「権利」を振りかざされ、時代の変貌から「国家」からも見捨てられます。
ようやく今の時代に「映像」となって再び現れたことに意味を感じています。5月からは東京中野区のポレポレ座という劇場でも公開されますのでお近くの方は見に行ってみてください。
お葬式は久々、多分10年以上ぶりに親戚と会い、いとこ同士も顔を合わせることが出来ました。社会人になってから色々な人と出会い交流を持ちましたが、やはり血は争えないのでしょうか。似たような環境で育って、似たような親を持ち、DNAもつながっているのかな。長年あっていなかったのに、親近感というか、親戚の中にいることが落ち着きます。話すテンポとか表情とか動きとか類似するものがあって、とくに仲が良かったわけではないにもかかわずその場にいることに安心感を覚えました。私の父は半身麻痺のため、お通夜へ連れて行くことが出来なかったのですが、翌日朝方、元気だった頃のおじさんと父の姿が浮かんできて、「絶対連れて行きたい!」と思い、面会時間になっていないにもかかわらず父の入っている施設へ行って父にそう話したら「行きたい」とすぐさま応じてくれて、そこから母に電話し準備をしてもらい、タクシーを呼んでぎりぎり式に間に合い、最後の別れを済ますことが出来ました。また父は今まで「会いたくない、こんな身体を見られたくない」の一点張りでほとんど親戚と会っていなかったのですが、今回会えて、うちとけたようでした。また、男のいとこ達が何も言わないのに父を支えてくれたり移動を手伝ってくれたりで、男性の優しさと力強さを感じました。(うちは女兄弟が3人で私が一番力があるので、もっぱら私が移動役です。)
東京は、電車に乗ったとたん合成洗剤の強い匂いや香水、タバコやゴムのにおいなどでちょっと気持ち悪くなってしまったのですが、やはり生まれ育った場所ですね。空気の暖かさで久しぶりに思いっきりのびをしました。また、発泡スチロールや瓶を入れるケースに新聞をしいて、コンクリートの通路の脇に並べて花々を育てている街の風景を見るのが好きだったことを思い出しました。人々の生活の様子というか、ありあわせの材料を使って自分達それぞれのスタイルで育てている様子を思い浮かべ、そこから感じるいとおしむ気持ちとか愛情とかを勝手に想像するのが好きです。
 昨日帰ってきて里美の春を感じています。東京は今週末がサクラの開花らしいですね。こちらはまだかな。暖かい春を楽しみにしています。