ここ一カ月、常陸太田市の最後の箒職人さんの所に
種継人の会のメンバー3人で、週2回
箒作りを教えてもらっています
常陸太田の“河合の箒”は昔から有名で
常陸太田の南に位置する河合地域では50件くらいの箒職人さんがいたようですが
時代の波に押され、今では、一軒しかいません
その一軒は横山さん老夫妻で、箒のメインの作りは旦那さん、仕上げの細かい装飾は奥さんがやっています
箒を作る箒草も、お二人で種を切らさず代々作っています
種継人の会でも、在来種を守るという観点から、昨年からお手伝いさせて頂き
常陸太田のラスト・箒職人なわけなのですが、後継者がいないという危機に面しています
後継者を募集のポスターを作ったりして、いろいろやっているのですが
なかなか集まりません
そんな中、昨年旦那さんが体調を壊し、箒作りがちょっと難しくなってきました
そこで、種継人で、いま技を無くすまいと技術を次に引き継ぐために、突貫で教えてもらってます
奥さんも、今まで箒作りはしていなかったのですが、一緒に習っています。
自分は、最初は箒作りはハマってしまいそうで危険だと思いあまり関わらないようにしていたのですが
ラスト箒職人さんが体調を壊して危うい状況になってきたので、教えてもらうメンバーに加わらせていただいたのですが
んーパンドラの箱を開けてしまった、、、、、、
箒作り、結構深いです、終わりなき世界のような
自分で納得できる作品は作れるのか、、
しかし、昔の職人の世界では、いかに本数を作り
手の抜ける所は抜き、材料のコストを計算して作らないといけないわけで
結構、師匠はシビアです
週に2回夜の7時~12時ころまで、根詰めてやっています
写真はまだ穂先を切っていませんが、ここまで作れるようになりました
左二つが“片手箒”右が“めがね箒”
現在“片手箒”は大体できるようになったので
今は、“めがね箒”の特訓中です。
後、“がぶつ箒”“あずま箒”あとひとつあるんですが、名前が思い出せない
まだまだ道のりは長いですが、面白いです、やっぱハマってしまったか、、、、